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11月からの新生活で新たな誓い

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このところブログの更新が途絶えてしまいました。先月末で息子が保育園を退園して、幼稚園に通う娘と共にシッタ-生活に入りましたが、慣れない生活でなんだかとても疲れてしまいました。

朝からシッターさんに来てもらい、タッチ交代で息子を預けて娘と一緒に登園して、私はそのまま職場に行くという生活。一週間のうち3日はシッターさんは午前中だけで、幼稚園が終わる時間帯から息子と娘を午後保育に預けてもらい、それ以外の日は朝から夕方まで来てもらっています。

実際に始めてみると、シッター生活はかなり楽です。保育園に行かない息子の準備はほとんど要らず、お着替えと食事だけケアすれば後はなんとかしてもらえます。幼稚園のへの道のりも、子どもが一人だけというのはこんなにも楽なのか、朝の送迎が一箇所というのはこんなに時間がかからないものなのかと驚くほど気楽・・・と言うようなことを書くと、いま保育園生活真っ盛りで大変な思いをされている読者の方に失礼かもしれないですね。でも実はこの先があります。

生活面ではとても楽になったはずなのに、なぜかイライラしてしまう自分がいて驚いています。

一つはシッターさんとのスピード感が合わないことなのです。これまで午後の送り迎えや保育をお願いしてきたので大丈夫だと思っていたのですが、特に朝の登園・出勤前のリズムに慣れてもらえません。例えば、「今から急いで制服を着ること!」と長女に言い渡す場合、本当に大急ぎで着替えて欲しいのですが、そこにシッターさんが入ることで子どもがふざけてしまって、スローダウンします。大変な朝のオペレーションも全て自分のペースでできていたのに、そこに急ぐという感覚をあまり持たない他人が要ることでなんだかとてもぎくしゃくしてしまいます。

「朝の時間帯は急がなくてはならない」ということを、これからシッターさんには体得していってもらう必要があります。

もう一つは、保育園の送迎や日中の幼稚園のお迎えという日常の負担が減ったことや、幼稚園生活が全面的に軌道に乗ってきたことで、何だか気が抜けてしまったというか自分の中の我儘レベルがアップしてきたことです。今まで昼食を抜いてお迎えにダッシュしたり、午前二時まで仕事をした後に六時に起床してお弁当を作っていたむちゃくちゃな生活から開放されたことで、少しは人間的な気持ちが戻ってきたというようなことなのかもしれません。

子どもが生まれてからストレスを軽減させる一番の方法は「誰にも何も期待しない」ということでした。期待さえしなければ裏切られることはなく、憤る気持ちも押さえることができます。人は人。他人は他人。子どもを持つのは自分の勝手。幼稚園に通わせるのも自分の選択。全ては自分で背負っていこう。そんな風に考えて、できるだけ何も感じないように、何も深くは考えないように、全ては子どもたちと自分で完結するようにただ全速力で突っ走るような日々でした。

ところが、ここへきてシッターさんという甘えることのできる存在ができてしまいました。これが何かにつけて期待をしてしまう、という面倒くさい感情の起伏を呼び起こすきっかけとなっています。精一杯やってくださっているのに(しかも子どもを二人も見てもらっているのに)、「もう少しおもちゃを散乱させずに遊ばせてもらえないかしら」、とか「もう少し計画的にお昼寝をさせてもらえないか」などなど、ついつい要求レベルが高まってしまいます。

三つ目は、私生活の負荷が軽減されていくに連れて、徐々に仕事のペースがアップしてきたことです。これは以前と比べると天国のようで、やりかけの仕事を鞄に詰め込みながら一七時過ぎにはオフィスをでなければならない、寝るまでにやらなければいけない仕事を抱えて帰宅しなればならない、子どもたちを寝かせるまでに色んな事をしなければいけない。。そんな少し前までの状況を考えると、ストレスがものすごく減ったといえます。今では週に三日は17時半には夕食を食べさせてもらい、満腹になってゴキゲンな子どもたちをピックアップするだけなので楽勝です。あるいは、シッターさんが子どもたちをみてくれる我が家に帰宅するというのは何とも気楽なはずなのです。

でも、だからこそ、といえるのかもしれませんが、子どもたちをピックアップして帰宅した後、次は自分たち大人の食事をどうしようと考えると気が重くなり、家に帰ると昼間出かけたままの散らかった状態や、時に朝ごはんを食べたお皿などがそのまま残っていたりすると、とてつもない虚脱感を感じてしまいます。これほどまでに人的サービスを手配し、決して安いとはいえない報酬をあちこちに支払って育児や家事労働の負担を減らそうとしているのに、疲れた自分に襲いかかってくるのはやっぱり「その他もろもろの負担」なのでした。

これまでは、安かろう悪かろうの公的サービスの恩恵に授かり、そう文句も言えないと腹をくくってきましたが、プライベートなアレンジに変えた途端、あれこれと不満が続出です。

唯一の希望の光は子どもたち、特に上の娘が少しづつ思いやりの心を育めるようになってきたことでしょうか。「ママ大変だね。おりょうりはぜんぶおてつだいするからね」などと言ってくれるのを聞くにつれ、あと少しの辛抱かなと思います(と思いたい!)。

この際、この環境を子どもの教育に最大限に活用すべきなのかもしれません。ママがどんなに大変かということに「共感する」、どうすれば自分が力になれるか「解決策を考える」、そして「行動する」。この課題をこなせる子どもに育ったら小学校受験で求められる思考力、共感力、行動力などはほぼクリアできているに違いありません。疲れ果てた母親が家の仕事をしているのに、自分たちは好き勝手に遊んだり、テレビを見て知らんぷりをしたりする子どもにだけは決して育てないようにしよう。こんなことを密かに心に誓いながら、新しい壁を打開したいと思っています。

 

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