小学校の延長線上にあるもの

2014-10-18 17.32.58

この秋はせっせと中高一貫校の下調べをしています。

など言うと、子供ははまだ幼稚園児なのに今から中学の心配?10年後にどうなっているか分からないのに?と思われることでしょう。

でも小学校をどうするかを考えていくと、その先にある中学や高校のことを考えないわけにはいかないのですよね。

本来の進路選びは、将来なりたい職業ややりたいことがあって、それを可能にするための大学や学部はどこか、そのためにはどの高校に進むのか良いか…といった逆算で進めるものかと思います。でも、さすがに子供が幼児の段階ではこの手法は使えません。

子供の適性も、やりたいことも夢も全てが未知数なので、何を持って最善を尽くせるかを決めるのは至難の技。そんな中で選択肢が色々とあり、そして何かを選ぶということは何かを手放すということになってしまいます。自分では選び取っているつもりでも、附属幼稚園、附属小学校に進むことにした場合、それは裏を返せばその他の学校への進学という可能性を手放すという選択ということになり…、この辺りがなかなか難しいなと感じます。

子どもたちには小学校受験の準備を仕向けつつ、もしかしたら小学校受験をすることで失ってしまうかもしれない可能性をこの目で確かめておきたいと思い、せっせと中高の説明会めぐりをしているわけです。

色々と見て回り、総じてやはりトップ校というのは素晴らしいと思いました。ビジョンも、リーダーシップ教育も、そして何だか楽しそうな先生たちや自由な校風も。

有名大学合格ランキングなどの数字の羅列を見ているだけではなかなか分からないものですが、それぞれの学校に足を運んでみると肌で感じるものがあります。一般的には受験校とひとくくりにされても、中高6年間で先取り学習(5年間で中高のカリキュラムを終えて高3は大学受験の演習に充てる)をしている学校もあれば、それはしないで数多くの卒業生の追跡調査をずっと行った結果、学校行事を大切にしつつ教養主義に特化する進学校もありました(意外にも高3まで文系と理系を分けない学校も)。

結果として感じるのは、やはり小学校の高学年あたりで自分の行きたい学校を自分なりに「選び」、それに向かって最善の努力を尽くすということはやっておいたほうがよい人生経験の一つのなのかな、と。そして、知れば知るほど、中学受験で得た知識や経験は生涯の財産になるような気がしてきました。

社会にでると「何かを選ぶ」ことの連続です。責任ある仕事を手にしたら、それこそ他者をも巻き込む選択の連続です。選ぶものがあれば手放さなくてはならないものがあり、何かを選ぶときにはすべての情報が出揃った状態で判断をくだすという贅沢は通常ありませんから、これはもう知恵を絞って、後は天に運を任せるしかないようなこともありますが、そんな練習を小学校からしてみるというのはとても重要なことなのではないかと思えます。

思うに・・・親の最終学歴が高ければ高いほど、小学校受験の何がそんなに素晴らしいのかよく分からないと感じるのではないでしょうか。お金と手間をかけて初等教育にテコ入れしたところで、18歳になったときの実力はむしろ中学、高校の受験組の方が高いことは有名大学への進学データが示しているとおりだからです。

小学校受験をする人の中には外部受験を目指しつつ附属校に入る人も少なくないようですが、それでもエスカレーター式の環境に入った瞬間から、親子ともに外部受験の熱が冷め始めるというのはよく耳にする事実です。中には中学受験に特化した進学校としての私立小学校というのもありますが、まだ先は長いのに六歳の頃から受験に駆り立てるのもなんだかなぁ、という気がします。

ただ、だからと言って小学校は最寄の公立小学校に入れておけばよい、というのもなんだか短絡的…。中高の6年間が学業的に大切な期間だとしたら、小学校の6年間もまた心身の発達や学業の基礎を磨くためのかけがえのない期間なはず。このあたり、空洞化している公立小学校の実態を目の当たりにするとかなり悩ましいものがあります。

あ、でもこれは東京都に限定した心配事のようです。全国の小学生のうち私立に通うのは1%しかいないようなので(これと比べて幼稚園は80%が私立)、小学生から私立に通うというのは全国的にみてとてもレアな選択だということになります。

なんだか中学受験に傾いてきた自分がいますが、あとは子どものタイプ、中学受験に耐えれそうなタイプか、むしろその方が伸びそうか、あるいは学業以外の何かに専念したいかといった判断や、親の経済力(小学校から私立だと子ども一人あたりベンツ一台分は学費がかさむという試算あり)との相談でしょうか。

う~ん。やはり難しい問題です。

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