今日は4年前の休暇に訪れた長崎の如己堂のことを書いてみたいと思います。実は何年もかけてカトリックの勉強をかさね、2018年の春(イースター、復活祭のミサの中で)子どもたちとカトリック教の洗礼を受けました。その年のゴールデンウイークにゆっくり時間をかけて聖地巡礼をした時のことを思い出しながら書いています。

長崎の原爆資料館を訪れた方は、展示物の中に永井隆博士の写真や放射線学にかかる医学的資料を覚えておられるかもしれません。また、昔映画化もされた「長崎の鐘」や、「この子を残して」を書籍で読まれた方も多いと思います。永井博士のことを知るキリスト教者にとっては、宗教上でも意義深い貢献をされた方で、この如己堂は聖地といえます。

如己堂とは原爆の爆心地近くに建つ一軒家で、永井博士が被曝後の長崎のために奔走し、白血病(原爆投下前から研究によって罹患していた)に倒れたあと、住民らがご家族のために建てたものです。氏は病に倒れた後も不自由な体で多くの作品を執筆し、自分の死後は孤児となる娘と息子との残り少ない時間を愛おしみながら、「自分の一番大切にするものを人に与えなさい」という言葉を子どもたちに残してその生涯を閉じられました。バチカンやヘレンケラーともやり取りがあるなど、世界的にも永井博士の名前はよく知られており、リトルローマとして知られる長崎の聖地の一つとして、Nyoko-doはトラベルガイドにも掲載されています。

「この子を残して」は、涙なしに読めないドキュメンタリーで、英訳本をアメリカ人の友達に読んでもらうのが、私の隠れた趣味になっています。(悪趣味かもしれませんが、こういうことを知ってもらいたいのです)。政治的な会話だけだと「戦争を早く終わらせるために原爆を投下した」て終わりですが、この本を読んだ人は、I am so sorryと深い共感を示してくれます。江戸時代からキリスト教徒の迫害の歴史が長く続き、中でも浦上のという土地は、何世代にも渡って過酷な運命をたどり、ようやく復興の兆しが見えたところに、原爆が落ちたこと、それすら神の意図されることとして長崎の信者たちは静かに受け入れたことを伝えると皆、感動してくれます。

戦後の浦上教会

ちなみに、広島の原爆ドームは産業会館でしたが、長崎の浦上教会は「半壊したカトリック教会」であり、これが遺跡として残っていたら、世界遺産間違いなく、平和のモニュメントとなっていたといわれています(上の写真)。しかし、同時にそんなものが残っていると自分達が悪の帝国に見えてしまうことを恐れたアメリカの意向で取り壊されてしまったという史実が残っています。これは本当に残念なことですが、壊された浦上教会が人々の心の中にしか残っていないということこそ永遠であり、長崎らしくも思えます。

永井隆作 浦上教会

今では、永井氏博士のイラストや長崎原爆資料館の地下に一部復元された姿でしか浦上教会を見ることはできず、現在の浦上教会(復刻版)は少し離れた丘の上に建設されています。信者の規模が膨大な浦上ならではの規模で、聖体拝領の後、自分の席がわからなくなるほど広かったのを覚えています。

原爆で焼け野原となった浦上の地に聖なる如己堂があり、その横に永井隆記念館と、うちらの本箱と名付けられた小さな図書館があります。

本好きな小学生が飛びつきたくなるような本が所狭しと並べられています。何もかもが焼け尽くされてしまったあと、こんな文化的な試みを思いついたのは本当にインテリです。心の豊かさがあれば目の前の現実の厳しさを忘れられたり、夢や希望を持てるので、この図書館に来れた子どもたちは祝福されていたと思います。

如己愛人。マタイによる福音書に(12章31節)にある「己の如く人を愛しなさい」という教えです。如己堂のネーミングはここからきたのですね。

なんだか…うまく書ける気がしませんが、自分自身もこんな普遍的でガッツのある生き方をしたいと願います。キリスト教徒の中には、一般的には弱いとされる女性や子どもでも脅しや怖さに負けず、信念を貫いて一生を全うした人が多いのです。目の前の現実がどんなに惨めでも、心の中の平穏を持てることが大切なのですね。

何も悪いことをしていなくても、戦争に負け込まれたり、街に爆弾が落とされることがあるのは、今のウクライナ情勢を見ていてもよくわかりますし、明日、富士山や浅間山が噴火すれれば、また南海トラフ地震が起きれば、同じような理不尽があるわけですよね。ほんと、人生は「生きているだけで丸儲け」(明石家さんま師匠)だと思います。

この聖地巡礼のあと、教会に行く度に「自分にも何か役目があるならください」とひたすらお祈りしていたら、自分には子どもたち(広い意味での次世代)を少しでも幸せにする任務があるように思える出来事がありました。いつしかそれが強い思いに変わり、なんと子ども連れで留学したり、起業したするパワーを頂いたわけです。いつまで頑張れるかは未知数ですが、走れるだけ走ろうと思っています。長崎で頂いたパワーが4年後の今でもずっと生きて、むしろ強くなってきています。