FAMILY / ファミリーのこと

Père De Rotz in Nagasaki / ド・ロ神父の偉業巡り

By looking closer at the Christian history in Nagasaki, you find lots of footprints of French priests. One of the major contributors made to the Sotome area was brought by Père Marc Marie de Rotz. Besides Christianity, he brought medicine, agriculture, architecture and other modern technologies by spending his personal fund. At Nagasaki airport, I saw an big ad for Père De Rotz’s dry noodles which industry is still alive today.

長崎の巡礼ツアーをしていると、多くのフランス人宣教師の偉業に出くわします。信徒発見の場となった長崎市内にある大浦天主堂はかつてフランス寺と言われ、そこの外階段を馬で駆け下りたといわれるド・ロ神父は、長崎に数々の医療器機、農具、産業をもたらしたことで有名です。

潜伏キリシタンの聖地、外海(そとめ)で知らない人はいないド・ロ神父の救護院を訪れてみました。長崎空港でもド・ロそうめんの広告が出ていて、今日でも産業が続いていることが伺えます。

受付には優しそうなシスターがいて、ド・ロ神父がフランスから持ち込んだといわれる300年以上昔のオルガンを引かせてもらいました(子ども連れで旅をすると時々このような特典があります)。中は展示場になっています。

ド・ロ神父のお母さんとお姉さんが手作りしたといわれる司祭服。刺繍入りの豪華な作り。

ちょっとみただけではよくわからない医療器具や農具の数々。

当時、私財を投じて輸入された品々。

ド・ロ神父が作ったといわれる出津(しず)教会。前方と後方に尖塔がある珍しい作り。後に世界遺産に認定された教会群のひとつです。

建築技術もフランス仕込み。この頃の宣教師というのは、宗教以外にも様々な西洋技術や知識を身につけて世界各地に派遣されていたことが分かり、興味深いです。

ポルトガルのカトリック司祭ルイス・フロイスは貴重な「日本史」を通して信長や家康などのやりとりを後世に残し、長崎に小神学校(ルミナリエ)を作ったイタリア人のイエズス会宣教師アレッサンドロ・ヴァレリアーノは天正遣欧少年使節(日本人少年4名)をローマ法王に謁見させました。

宣教師をグローバルビジネスマンに例えると怒られるかもしれませんが、植民地時代の教会から派遣される役割は現代とは随分と毛色が違ったのだろうという気がします。

特にイエズス会という組織の「業にいれば郷に従え」というしたたかな姿勢が、結果的には宗教の流布に繋がったともいえ、まるで商社マンのような気配すらします(宗教団が黒人奴隷を将軍に献上するとか、どないやねん、と思いますが。。当時奴隷は人間に非ずと認識されていた)。

ともかく、この時代の西洋と東洋の激しいぶつかり合いの歴史には、とても魅了されます。実際に現地を歩いてみて、湿った空気や海の香りは当時も同じだったのかなと思えて感動的でした。

外海のあちこちでみられたこの壁は、フランスから持ち込まれた壁づくりの技術(ド・ロ神父による)だそうです。

救護院の外には小さな畑も作られていました。何百年も前に、このやせた土地に持ち込まれたものがこうして息づいているのは圧巻です。

そういえば、先月フランスの片田舎をタクシーから外を眺めていて、目に留まった壁は、長崎で見たド・ロ壁とそっくりでした。

信号などない田舎町を走行中につき、良い写真が撮れませんでしたが、思わずシャッターを押してしまいました。

こんなところでフランスと長崎が繋がるとは。

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