‘Incidents in the life of a slave girl’ by Harriett Jacobs /「ある奴隷少女に起こった出来事」

かつて新潟で10年に及ふ少女の監禁事件のことを知った時、ことばを失うほどの衝撃を受けました。また、アメリカのクリーブランドで3人の少女たちが誘拐され、これまた10年後に保護されたニュースそ知った時、うち一人が犯人の子どもを産み育てていたという事実もあって、こんな悲惨な人生があってよいのかと何週間も暗い気持ちになりました。

日々のニュースで信じがたい悪事を目にする度に、自分をとりまく社会が決して安心安全な場所ではないということに気付かされます。

でも、今の時代の多くの事件にたったひとつ救いがあったとすれば、(被害者にとってはなんの救済にもならないかもしれませんが)少なくとも事件の詳細が調査され、裁判によって悪事が暴かれて懲罰がくだるという法治国家での道理というものあるかと思います。

書店で何気なく手に取った一冊の本には、「ある奴隷少女に起こった出来事」という淡々としたタイトルからは想像もできないような非人道の極みが描かれている衝撃の内容でした。当時、家畜同然に売買の対象とされていた奴隷にとって、そもそも人権というものが認められない社会というものがどれほど過酷なものであったのかがよく分かる実話です。

本書は、ハリエット・ジェイコブズという黒人女性がアメリカ南部の奴隷制の中で不遇な少女時代を送り、命がけで北部に脱出して本書を執筆したものの、教育も受けていない奴隷がこのような文章を書けるはずがないと思われたのか、リンダ・ハリエット(彼女のペンネーム)という白人作家のフィクションだと思われていたそうです。

後に研究者の手によってこれが本当に元奴隷だった少女の書いたものであることを筆跡から発見し、そして作中の登場人物が実存していたことの裏付けがとられ、これが実話だったことが証明されてアメリカでベストセラーとなりました。

こんな本を読んでしまうと、自分の生きる社会や時代をひたすらありがたく思い、自分の人生の些細な不満について何文句がも言えなくなってしまいます。

作者である少女は、6歳の時に自分が奴隷であることを知り、自分が人身売買される運命であることを告げられます。

その後、彼女は幼くして両親を失い、競売にかけられてとある白人医師に買い取られるのですが、ここから何年にもわたる陰湿な精神的、身体的な虐待がスタートします。執拗に追いかけまわしてくる所有者と嫉妬に狂ったその妻に支配されるどうしようもない環境のなか、唯一の救いであったのが愛情深い祖母の存在だったようで、話の中には彼女の温かい人柄が伝わってくるのが感動的です。

著者はなんとかその家から脱出することを目論み、別の白人男性との間に子どもを二人授かるのですが、奴隷との間に子どもをもつ白人男性はこどもたちの父親であると同時に「所有者」でもあり、その子らを売買することができるようです(このあたり、当時のことをよく知らない私には理解に苦しみます)。

奴隷の競売にかかるこんな場面があります。子どもが一定の年齢になると、母親はその子らの手を引いて「市場」に出向き、一人でも「売れ残る」ことを祈るのですが、ある日7人もの子どもを一気に失う母親の姿か書かれており、市場では多かれ少なかれ似たようなことが起きるため、あちこちで悲壮な鳴き声が上がったといいます。

一方で、この競売というのはお金をためて「自分の子や親族を買い戻す」場でもあったようで、著者の祖母が50歳で所有者を失った時には、所有者の親族が彼女を50ドルで競り落とし、その後、彼女を奴隷の身分から解放したという感動的なエピソードもあります。一体、今の価値でいくら位なのでしょう?若年の子どもは750ドルから900ドルくらいで売買されていたとも書かれています。

ちなみに「奴隷の雇い入れ更新日は、南部では一月一日と決まって」おり、二日からは新しい雇い主の元で働き始めたらしく、日本で言うところの正月三が日がこの期間にあたります。

奇しくも、今年のお正月番組で日本のお笑いタレントが顔を黒く塗ってエディマーフィーのパロディをやったところ、黒人への差別だという非難の声が上がりました。

この点、「差別の対象というものがそれぞれの国で違うので、奴隷制や黒人差別という黒歴史のあるアメリカでは問題かもしれないが、日本にはそんな社会的背景がないのだから、変な色メガネで見るな、黒いものは黒くて正解だろう」というごもっともな批判もあります。最初は私もそんな風に感じた一人でした。

でも、肌の色が違うというだけでこのような不遇な歴史を背負わされた人たちが世界の何処かにいることを考えると、たかがエンターテイメントのために無邪気に黒い肌に触れるのはナイーブすぎる気がします。これを言論の自由への制約とする見方もあるでしょうが、理屈ではなくハートで考えると黒い肌のことをお笑いに持ち込むのはやはり無神経だし、こんな無残な身の上話を読んだ後ではハマちゃんの顔面黒塗りはもはや面白いと感じられない自分がいます。

さて、本書に話を戻すと、この本の素晴らしさは所与の不遇な時代の中で人間というものがどれほど賢く、強く、愛情深く生きることができるのかということが伝わってくるところです。

できれば本書を読んでいただきたいですが、そんな時間はないと言う方のために、この本の素晴らしさを下にお伝えしたいと思います(以下、ネタバレ注意)

不幸な幼少期を送った著者にはさらに過酷な成年期が訪れます。

二人の子を持つ母となった著者(この時点でまだ二十歳くらい)は、自分と子どもを解放するために懸命に考えを巡らせた結果、とある隠れ家に身を隠すことになります。自分の所有物である奴隷が自分の思いのままにならないことに怒り狂った白人医師は、著者の弟や子どもたちを軟禁して、何とかして著者をおびき出そうと試みますが(100ドルの懸賞金をかけた当時の新聞広告の写真があります)、これこそが想定されていた反応で、子どもたち(まだ幼くて性的虐待のリスクなどが少なかった)が他の所有者に売り飛ばされて家族離散しないよう、次なる逝ってを打つまでの時間稼ぎでした。

ですが、隠れ家といっても母屋に隣接した倉庫の三角屋根の部分で、ノースカロライナの陽射しで夏は灼熱のサウナ室となり、冬は手足に凍傷を負うような冷凍庫と化すような劣悪な環境でした。しかも屋根の傾斜の一番高い部分が90センチ、床面積が縦横2メートルづつ程という狭い屋根裏(窓もなく、通気口もなく、空気も薄かった)で、時にはよく分からない何百匹の虫と戦いながら、なんと7年間もの間、寝そべったり這いつくばったりして身を隠したといいます。

このレベルの壮絶物語は、確かににわかに信じ難く、この作品がフィクションとして長い間日の目を見なかった理由が紛れもない事実の非現実的な過酷さにあったのではないかと思いました。

この隠れ家生活の中で、感動的なシーンがでてきます。

著者は、偶然見つけたキリのような道具で外のとおりに面した壁に2.5センチ四方の通気穴を開通し、そこから通りを眺めていると自分の子どもたちの可愛い笑顔がこちらに向けられているのを目にします。母親がそこにいるとは知らないはずの子どもたちが、お母さんに向かって笑顔を向けている。母親からは子どもたちが見えるが、子どもたちからはその姿が見えない、というのは、「あとがき」で佐藤優氏も書いているように神学的な意味があるように思われます。

隠れ家生活が二年、三年と続くに連れ、次第に身体が弱っていく著者ですが(自力での歩行は次第に困難になっていた様子)、この生活が子どもたちの平穏を守っているのであれば、この過酷な生活をまだ続けることができると考えます。子を持つ母親としてのこの感覚には本当に泣けますし、このような感性を持った一人の人間を家畜同然にみなした時代を心から憎いと感じます。

その後も、著者が子どもたちを一方的に見守り、相互的なやり取りを一切控えた生活が続きますが、それは子どもが犬に噛まれて大泣きしていても助けることも抱きしめることもできず、普通の人なら発狂してしまいそうな時間だったに違いありません。少しの開口部から射す陽の光で子どもの洋服を裁縫で作り、「あなたの来ている洋服を作ったのはお母さんですよ」と走り寄って伝えたい気持ちをひたすら抑えて過ごすような日々がどれほど辛いものであったのか、想像することすら難しいです。

そして、とうとう自分自身の脱出の時期がせまり、まずは末の娘を先に北部の見知らぬ家庭に預けることになるのですが、脱出前夜に再開する場面は涙なくしては読めません。その夜著者は7年ぶりに我が子と再開し、娘を一晩中娘を抱きしめて寝床で過ごします。もう寝た頃かと思って娘にキスをすると、「お母さん、私もまだ起きてます」と娘が返してくるシーン。我が子もまた同じ気持ちで、再開したばかりなのに明日には永遠の別れとなるかもしれない母との時間を寸暇を惜しんで起きていたのです。

その後、北部への脱出の機会が訪れた時に船着き場で息子としたシーンは、更に神がかっていて、背筋が寒くなりました。

下の子が「お母さんはどうしてもっと早くきてくれなかったの?と聞いてきたのとは違い、上の子はなんと「ぼくはお母さんがあそこに隠れていたことを知っていたよ」と言ったのです。そんなわけがあるはずがない、絶対にあり得ない、と思って聞いてみると、隠れ家の側で遊んでいたときに中から咳払いが聞こえて、直感的にそれがお母さんのものだとわかったというのです。

そして思い返してみると、隠れ家の側によその子がくると、息子がやってきて別のところで遊ぼうよとその場から立ち去るということが何度となくあったことが回想されていきます。お母さんが命がけで隠れていることを子どもなりに理解し、他人にそれをさとられないように別の場所に誘導していた事実が次々に思い浮かんできたといいます。

これまで一方的に母親の方からかけていたと思われた愛情が、実際にはちゃんと息子に伝わっており、その子もまた精一杯の愛情で母を匿っていたことが明らかになるシーンです。

懸賞金までかけて血眼になって母のことを探している白人医師に母のことがバレた日には、それを匿っている友人、知人、親族全てに悲惨な結末が待ち受けていることをちゃんと理解して、この勇敢な息子は周りの大人にも妹にもこのことを言わずに一切を小さな胸に留めて母を守っていたのでした。

この冬休み。。今の時代を呑気に生きる私たち親子は大晦日に「翌日の幸せを疑うことなく」除夜の鐘を聞いてリラックスしていました。一方で、奴隷時代の家族にとっての大晦日とは、父母や子どもと永遠の別れになるかもしれないという不安に押しつぶされそうになりながら過ごす恐怖の一夜だったことを知ってとても複雑な気持ちです。

しかもこれ、大昔の話ではなく、たった三世代ほど遡ったところにある比較的新しいアメリカの近代史です。

奴隷の母は(略)、朝には取り上げられてしまうかもしれない子どもたちの顔をじっと眺める。(略)幼少期から虐待される制度により人間の格を下げられ、愚かにしか見えない生き物かもしれない。けれど、奴隷にも母性があり母親にしか感じられない苦しみを感じる能力はあるのだ。

幸せな国に長く暮らしているせいか、こんな国家的犯罪がまかり通っていたことがピンと来ませんが、人間としての尊厳を奪われ、他人に支配される、このような不遇の人生は決してあってはならないと感じます。

例えば、監禁事件の犯人がその悪事を誰からも咎められることなく人生を謳歌し、その家族が子育ての失敗を糾弾されることなく、「うちの息子をたぶらかした悪い娘」と言って被害者を鞭打ような、そんな時代です。あり得ません。考えるだけで身の毛がよだつような社会です。

最後に、著者が最後に自由の身となるのは希望が持てるエンディングです。メイソンーディクソンラインと呼ばれる、奴隷制の是非をめぐって南北を分断していた境界線を超え、著者がフィラデルフィアに到達した瞬間は、ブラボーと叫びたくなります。

恵まれた社会では当然のように皆が自由ですが、これは決して当たり前のことではないと再認識しました(実際に今でも独裁国家では自由な渡航ができず、親族が人質にとられたりしている)。著者が、アメリカ北部に脱出する船の中で見た日の出、デッキにでて吸った新鮮な空気、暖かい日の陽射しは明日への希望に満ちています。

これだけ過酷なを歩んでも、人間というものはなお強く尊厳に満ちた存在でいられるのだということに希望を持ちたいと思います。

時間の許す方は、是非本書をお読みください。

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