It is December already! Children submitted advent promises to church, and I feel like bringing my eventful 2017 to closure. Not everything that happened was bad, but I often felt pretty miserable for unexpected events in this year.
Making some promises to myself is probably a meaningful thing to keep my chin up. I will think some before the 2018 countdown starts.
早いものでもう師走ですね。
幼稚園にアドベント(キリストの待降節)のお約束を提出し、今年もあと二週間ほどで冬休みがスタートするなぁ、と思いつつ、何故か毎年どんなお約束をしたのかが思い出せません。。それも師走のなせる技・・なのかもしれません。
アドベントのお約束は、家庭でのお手伝いなどではなく、幼稚園で毎日心がけることができるものがよいということで、今年は「お友達に優しくする」 にしました(と、備忘録を兼ねて記載しておきます)。
ところでカトリックでは、キリストがお生まれになった「降誕」と、十字架にかけられた後の「復活」という二大イベントの前後を、それぞれ「待降節」(降誕前)と「降誕節」(降誕後)、「四旬節」(復活前)と「復活節」(復活後)としてお祝いするのですが、今月はその一つである待降節がスタートしたことになります。
さらに12月にある4つの日曜日をそれぞれ第一主日、第二主日、第三主日、第四主日とカウントし、今年は4回目の主日である日曜日が12月24日に当たる「特別な年」となります。普通の年だと別の日に行われるところ、今年の12月24日は午前中が主日のお祝い、日没後から主の降誕のお祝いが始まります。
そういえば2017年は個人的にも特別な年だったなぁ、と自分の身にも色々あったことをついつい重ねて考えてしまいます。死ぬような病気をしたわけではありませんが、自分の健康に陰りが見えた今年は、目先の慌ただしさに惑わされず、人生で大事だと思えることにちゃんと向き合わないと行けないな、と考えさせられました。
そんなわけで、このところはこれまで忙しさを理由に行けなかった教会に出向く頻度が増えました。
カトリックの教義では聖書の朗読が三年周期で行われて、A年、B年、C年と分けられているのですが、それぞれA年ではマタイ福音書、B年ではマルコ福音書、C年ではルカ福音書が朗読されます(英語呼びでMatthew, Marc, Lukeの順)。2017年12月からはB年になり、マルコの年に入ります。
そんな訳で先の主日礼拝では、マルコ13章の「少黙示録」と呼ばれる箇所が読まれました(カトリック教会では毎日世界中のどの教会でも同じプログラムで礼拝が行われるという、ものすごい統率力)。この少黙示録は「だれにも惑わされないように気をつけなさい」ということばで始まり、「気をつけて目を覚ましていなさい」ということばで終わるのですが、なんだか背筋がピッと伸びました。
キリスト教者であっても、そうでなくても、自分の心に響く真理に出会った時、このこと心して生きよう、とか思うのに、すぐに忘れてしまうのはどうしてなのでしょうね。気がつくと目を閉じて、ぐーぐーと眠っている自分がいるような気がします。
この日も例に漏れず、教会から一歩出た瞬間に物欲にまみれた生活に浸る自分が恥ずかしい限りですが、俗世に戻りました。子どもにもアドベントを楽しい記憶として刻んで欲しいという思いから、我が家では引き出し付きのアドベントカレンダーに毎年小さなキャンディーとかチョコレートを入れてカウントダウンしているのですが、最近はくじ引き大会と化しています。
去年、ふとした思いつきで「スーパーボールくじ」の抽選券を毎日アドベントの引き出しに入れておいたところ、これが子供受けしてしまい、今年は「ミニ消しゴムくじ」をリクエストされてしまいました。
なんだかなぁ。。と思いながらも、子どもたちが楽しそうにくじ引きを楽しみにする姿に負けてしまい、今年も抽選券を毎日一枚づつひくアドベントとなりました。