時代錯誤な幼稚園願書

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20代をほぼ全てアメリカで過ごし、30代になって帰国したときに逆カルチャーショックというものを体験しました。

それからほぼ10年ほど立ち、自分は既に再日本人化したと思っていましたが、ここにきてまだまだかもしれない・・・という壁にぶち当たりました。

上は、幼稚園の願書の一部なのですが、手書きで丸印をつけた箇所がお分かりになりますか?

黒字で私が記入した箇所を、願書レビューしてくださった幼児教室の先生が赤ペンで修正されたのですが、この訂正の意味を理解するまでに一苦労でした。

なぜかというと、先生がおっしゃるには「もっと心をこめて丸をかいてください」ということなのですが、私には最初、なぜ心を込めていないと思われたのが全く理解できず、こんなやりとりをすることになってしまいました。

私 「えーっと、心は込めたつもりなのですが・・」

先生 「ですから、もう少し丁寧に書くと印象がアップしますよ」

私 「???」

 

あまりに意味不明だったので、「丸が大きすぎるということでしょうか?」などと聞くとようやく、「いえ、文字の上下に直線を意識して書いてください」と言われ、納得するに至りました(最初からそう言ってくれればいいのに~)。

要するに、丸印をつけようとするのではなく、可能な限り上下を直線にして四角枠で囲む感じということらしいのです。

それにしても、日本では学校の願書というものが未だに手書きだということや、丁寧に書くことなどがなぜかものすごく重要視されていて心底驚きます。

願書には事前に鉛筆で線を書き入れて升目状にして鉛筆で下書きしたものをペンでなぞり、十分な時間を置いてインクが乾いてから鉛筆を消すというプロセスが必要だそうですが・・・ハッキリ言ってこれって国際的なスタンダードからするとものすごく効率が悪くて意味不明なことです。

大切なのは内容だろう、と思うのですが・・・まぁ、文句を言っても解決するわけではないので、「郷にいれば郷に従え」の精神で子供の将来を邪魔しない程度になんとか対応したいと思います。

子供時代に自分がやらせてもらった習い事の中で「書道」がありましたが、自分史の中ではこれまで無駄だった習い事ナンバーワンでした(しかも長時間正座するので足の形も悪くなるという弊害付き)。

それよりはまだソロバンでも習ったほうがマシと思っていましたが、まさか子供の幼稚園受験で重宝するスキルになるとは想像だにしませんでした。英語を書くようになってからはひどい字しか書けませんが、その気になって丁寧に書くとなんとかあるべき姿を再現できるほどには記憶が残っているようです。

いざ社会にでると(さらに国際社会にでると)達筆であることに価値を見出されることは少ないですが、子供ができると事情が変わるのですね。

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