傍から見ると努力のようなもの

先日、金田一秀穂さんの講演を聞きに行く機会があり、ちょっと面白い考え方を頂いたのでご紹介させて頂きますね。

開口一番、「親の七光りか、祖父の代からの一四光りで生きてたので、先日の『Qさま!!』では恥をかきました」というコメントはかなりおちゃめでした。

気取らない雰囲気の中、テーマは子供の教育についてだったのですが、何が一番大切かというとまずは「健康でいること」だとおっしゃいます。

ご自身は幼少時代に大病をされて学校に通えない時期が長かったので、「病気は努力で治せない、努力なんてムダだ」ということを子供ながらに悟ってしまったそうです。

それ以来、「自分は絶対に努力はしない」、「努力なんてしても仕方がない」といってはあちこちで叱られたそうですが、その意味するところは結構深くて、自分が楽しいと思ってのめり込むことができたらそれは傍から見たら「努力」に見えるかもしれないけれど、本人にとってはそうではないよね、ということのようです。

周りからみればあたかも努力をしているように見えたとしても、自分にとっては純粋に夢中になれるものに取り組んでいる、そういうものを見つるのが人生でおきる素晴らしい偶然なのであってそれは決して教育者とか親が与えてあげられるものではないけれど、子供が見つけられる手助けができるといいですね、というようなお話でした。

言われてみれば確かに、誰かに与えられた何かに夢中になることは難しいし、例え「自分は努力した!」と思えることであっても、何らかの楽しいことや好奇心や、やりがいなんかと引き換えに、他でもない自分が選んでやっていることだから継続できたりするのかな、納得と思いました。

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