震災後

2011年3月11という日はわたしたちの記憶に深く刻まれることになりました。

震災から数日たちますが、岩手や宮城をはじめとする東北地方で起きたあまりにも悲惨な地震と津波の爪痕が日々明らかになり、首都圏の交通機関が全面ストップとなって何十万人もの帰宅難民が出たかと思うと、事態は収束するどころかこんどは福島原発事故による計画停電と放射能もれという不安をな日々が続いています。

物資調達のための輸送ルートが完全復旧していないために、被災地では氷点下の気温にもかかわらず燃料不足で暖房も入らず、暖かい食べ物どころか人数分の食事や飲料水すら十分に確保できず、本日は被災された人のなかに死亡者もでたようです。

このような報道を毎日耳にして、インターネットでは様々な意見交換がされるのを目の当たりにすると、、こういう非常事態だからこそ普段見えないものが見えてきます。

まず何よりも、命の尊さ、そして脆さ。

一瞬のうちうちに津波に流されてしまった人と救助された人

全てを失って助けを求める人と支援する人

自分がどちらの立場に立っていてもおかしくないと思えます。

普段はなかなか見えない人とのつながりの輪。

大きな暴動も起きず、どこからともなく支援の我が広がり、海外や他府県から救助隊や救援物資が届き、方法論の是非を巡っては賛否両論ありながらも、誰もがなんとかして自分も力になりたいと考えているそんな社会に自分は生きていたのだなと気づかされます。

今後、原発のあり方やリスクマネージメントを巡っては、国内外で激しく議論されていくことと思われますが、とにかく批判を繰り返す「専門家」がTVを賑わしている間に、現場では高い被爆リスクをかえりみず作業にあたる福島原発の現場の人や被災地で取るものもとらずに救助を続ける人々、黙々とネットで人の役に立つ情報を発信し続ける人達など、世間に名前を知られることのない無数の無名の個人がヒーローなのだな、と感じます。
また、津波に流された家の屋根に掴まって数日漂流して救助された人がいたかと思うと、盲目の女性が五日ぶりに助けられたり、こんなニュースばかり聞いていると、なんだか感覚が麻痺してしまいますね。

季節の変わり目で今日は氷点下の気温となり、東北地方の避難所はどんなに暗くて寒くて不安なことかと考えただけで辛いですし、

特に小さな子供や赤ちゃんと一緒に被災しているお母さんをみると他人事とは思えず、なんにも出来ないい自分が歯がゆくて仕方ありません。
なぜこんな試練を?

そんなことを考えてしまいます。

今回の惨状を目の当たりにして、自分が与えられている日々の生活が何一つ当たり前ではないことが分かります。

わたしたちにできることがあれば手を差し伸べるべきだと思いますし、もし何もできないとしても 自分が生かされているという幸運に感謝しなくてはいけないですね。

自分の生活が根こそぎ破壊される、自分が生まれ育った町がある日突然海に飲み込まれる、数万人単位の人が一気に消えてしまう、そんなパニックムービーのようなことが本当に起きているという事実。

本当に大切なものは何なのか、守らなければいけないものは何なのか。

連日の報道を見ながら、そんなことを深く考えさせられます。

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