自然分娩=人の手を加えないお産、ではなかった

さて、お産という一仕事を振り返って思うことを何度かに分けて書いてみたいと思います。

まず、妊娠期間中は何事もなく順調で、予定日よりもやや遅れはしたものの入院当日に自然に陣痛がやってきて、その後分娩準備室、そして分娩室へと進むことができたのですが、陣痛が始まってから24時間が経過しても子宮口が全開にならなくて体力を消耗して発熱したり、赤ちゃんが逆に旋回し始めたのを戻したりと、分娩室にはいってからなかなか手こずったため、出産には26時間もかかってしまいました。

途中で鎮痛剤を打って休んだり、陣痛促進剤で勢いをつけて、最後には吸引までするという、一手間も二手間もかけた結果、ようやく長~いお産が終わりました。

お産ってもっと自然にできるのかと思っていたら、(もちろん年齢のせいもあると思いますが)要所要所で医療のサポートを受けつつ、最終的にはなんとか「自然な形で」出産することができたのでした。 

お産が無事に終わるということは当たり前のことではないのだなぁ、と改めて思いました。

それと、産まれてくる赤ちゃんが無防備だとはよく言われることですが、産む側の母親も相当無防備・・・というか何人もの人の手を借りて赤ん坊を取り上げてもらうしかない無力な状態なのですね。

もちろん陣痛の痛みに耐えたり、いきんだりというのは自分しかできないわけですが、お産やその後の回復期というのは普段の生活ではまず体験しないほど、人のお世話になるなぁ、と感じました。

特に助産師さんたちは本当に白衣の天使に見えたし、分娩の最後の30分~1時間程の間にいつの間にかスタンバイしてくださっていた産科の先生達の姿が見えたとき、本当に安心感でいっぱいになりました。

それまでは分娩台なんて恐ろしそう・・という恐怖感の方が大きかったのですが、実際に何時間も陣痛と戦っていると、早くあそこに登って生んでしまいたい!という気持ちのほうが大きくなります。

陣痛が進むに連れて、赤ちゃんが骨盤に収まり、それから産道を下ってくるのが感覚として分かるのですが、ようやくこのプロセスが終わる~!という気持と、もうすぐ赤ちゃんに会えるという期待感が高まり、そこから先はあっけないほど短く感じました。

自分ではう~ん、う~んと唸ってのたうちまわりながらも、実は陣痛の合間には結構色んなことを考えてて、「この痛さはどうしたら表現できるんだろう?」とか、時計を見ながら「さっきから20分は経ってるけど、あと何回いきんだら生まれるんだろう?」などと思っていました。

そうそう、私が出産した時間帯がちょうど午前11時前だったので、看護学校の研修の若い学生さんが数名見学に着ていたのですが、陣痛の合間に許可を求められて「どうぞ、見てください」と言ったことまでは覚えているものの、その後は自分のことに必死でした。

出産が終わった後、「貴重な体験をさせて頂けてありがとうございました」とお礼を言って頂き、「(見学にきた学生さんが)感動して泣いていたようです」と聞いて、なんだかこちらまで感動してしまいました。

でも、それまでは赤ちゃんと対面したときには自分はきっと泣いて感動するに違いないと思っていたのですが、出産直後は異様に興奮してテンションが高く、生まれたばかりのわが子からとにかく目が離せませんでした(まるで無の境地)。

「感動する」とか「泣く」という人間的なリアクションがでたのはしばらくして落ち着いてからのことで、当事者としての自分は純粋に動物なんだなー、と感じました。

そう、出産ってまさに動物的な体験でした。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中