ありがたき世俗的な仲間たち

 

このところ、不調の嵐に見舞われていました。

台風の目のド真ん中にいた時は、週末にDVD鑑賞をして引きこもっていましたが、その後女友達との飲会があり、無理矢理深夜の町に駆り出されて気分転換をすることになりました。

途中、責任重大な会議などもありながら、仕事の能率は落ちるわ、気分はサゲサゲだわ、今回はちょっと長めのスランプでした。でも、どうやら気分転換が功をなして、次第に心が軽くなってきました。

思えばいろいろな遠因があって、自分とは関係のない不運のとばっちりを受けたようなところもあり・・、でも最大の原因は「え?もしかして自分って運が悪い?」などと短絡的に思ってしまった自分の弱さだと思います。

そうそう、たまたま手にとった自己啓発書にもいいことが書いてありましたよ。

「良い人生を生きるためには一時的なよくないことにつぶされないようにするのが最も重要なことです」

「良いときは前向きにできるけど、悪いことがあったときには絶望して自暴自棄になって自分がめちゃめちゃになるというのでは、この長い人生を幸せに築いていけないのです」

なるほどね~、と思いました。そして、達人は運の高低の振れ幅が大きくならないように調整して、高め安定でフラットな状態にしておくらしいです。

 

運気の達人になれるかどうかはともかくとして、確かにイケイケ&ドンドンのときに上げ潮にのって物事が上手く行くのは当たり前、引き潮のときにどれだけ自分を信じてブレずにいれるか、が課題なのかも。

 

強運な人とか自分をしっかり持っている人って、きっと不調の乗り切り方がプロフェッショナルなんだと思う。

私の場合、女友達が運気を引き上げてくれた気がしていて、彼女たちに感謝!人生に満たされている幸せな人達と一緒に入れるというのは幸せなことだなぁ、とつくづく感じた。

 

そういえば面白かったのが、先日行ったカソリック教会からの帰り道の出来事。

教会では神父様が聖書から有名な箇所「私があなたがたを愛したように互いに愛し合いなさい」を引用して、「人は愛する人を幸せにしようと思って、愛することを忘れてしまう」というようなお話がありました。

「足るを知る」という言い方もできるかもしれませんが、素敵な家や高級な車、日々の贅沢を手に入れることがいつの間にか人生の目標になってしまって、それが心を貧しくさせることってあるに違いません。

そんなことを思いながら、聖書クラスのお友達と一緒に最寄のトンカツ屋へ向かい、カツをほおばりながら話が弾みました。

「でも・・正直いって、一切の贅沢ができない生活って耐えられないと思わない?」とそのうちの一人。

「そうよね、やっぱりダンナには出世もして稼いでもらいたいし」と別の人。

「いえてる。時々トンカツも食べたいし☆」

愛すべき庶民派の仲間たち。こういう感覚、結構好きだなぁ、と思った。時々教会に顔をだすからといって、原理主義者な訳ではありません。

教義主義に偏らず、凡人的基準に照らした正直で直感的に生きるのって素敵なことです。

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